子どもと美術

「子どもにいい美術体験をさせたい」と願うあなたへ|現役学芸員ママが現場で見てきた本当のこと

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画集を開いて親子で美術作品を見る赤ちゃんの手元|子どもの美術鑑賞体験のイメージ

子どもの感性を育てたい、いい美術体験をさせてあげたい。

そう思って、この記事にたどり着いたんじゃないでしょうか。

最初にお伝えしておきたいことがあります。

あなたがそう考えている時点で、もうほぼ大丈夫です。

何歳から始めたらいいんだろう、何をしてあげればいいんだろう、と検索する時間そのものが、すでに子どもへの美術教育の一部になっています。

だから焦らなくていい。

この記事では、現場で見てきた子どもたちの姿と、家庭でできることの考え方をまとめました。

読み終える頃には、「うちはこれをやってみよう」が見えてくると思います。

筆者について

現役の美術館学芸員です
» りんのプロフィール
» X @rinhwan_blog

  • 公立・私立美術館双方で勤務経験あり
  • 子ども向け鑑賞ワークショップ・学校団体の鑑賞授業を多数担当
  • 西洋美術史修士/博物館教育論 履修
  • モンテッソーリなど知育にも関心あり

そもそも、子どもにとって美術ってなんだろう

学芸員として現場でいろいろな子を見てきて、自分なりに行きついた答えがあります。

それは、子どもにとって美術って、「わからなくていい場所」をつくるものなんじゃないかということ。

正解がない、急がなくていい、誰かと比べなくていい。ゆっくり立ち止まって、自分のなかで何かが動くのをただ待っていい。そういう時間が許される場って、今の子どもの暮らしのなかにどれだけあるでしょうか。

学校でも習い事でも、「できる・できない」「合ってる・間違ってる」がついてまわる。そのなかで、美術だけは違うんですよね。

「何が見える?」「どう感じた?」と聞かれて、答えは何でもいい。むしろ答えなくてもいい。立ち止まって、考えている時間そのものに価値がある。そういう体験を子どもに渡せるのが、美術というものの本当の役割じゃないかと思っています。

ただし、「わからなくていい」と「投げ出していい」は違います

わからないものに向き合って、なんとか自分なりに掴もうとする。

すぐには答えが出なくても、考え続ける。

その姿勢は、美術以外の場所でも必ず役に立ちます。

美術史家のゴンブリッチが、愛読書『美術の物語』のなかでこんなことを書いています。

好きになるのは、どんな理由からでもいいけれど、嫌いになるのは、どんな理由からでもいいというわけにはいかない。 (E.H.ゴンブリッチ『美術の物語』ファイドン、21ページ)

なるほど。

子どもに「好きにならなきゃ」と思わせる必要はありません。

嫌いでもいい。

でも、「なんかいや」で終わらせず、なんでそう感じたのかを一緒に考えてみる。

嫌いだったら嫌いなりに、その理由を探すこと。その時間が、考える力を育てていくんだと思っています。

「どうしたらいいかわからない」こそ、美術との出会い

ここで、すこし現場の話をさせてください。

学芸員として鑑賞授業を担当していたとき、小学校高学年のクラスが1日で数百人来館することがありました。クラスごとに分かれて、学芸員がVTSをしたり、子どもたちが自由に作品を見てスケッチしたり、先生と共同で作ったワークシートに感想を書いたりする。そんな日です。

見回りをしていると、必ず戸惑った様子の子がいるんです。

たくさんの子どもたちのなかで、作品の前で縮こまるようにしている子。手元のワークシートに何も書けないまま、固まっている子。「なんて書けばいいですか」と感想用紙を持って聞きにくる子もいます。

ぐちゃぐちゃに描いている子や、何度もやり直している子を見ても、「迷いながらやってるな〜」って思うだけなんです。それは創作にちゃんと巻き込まれている状態だから。

でも、フリーズしている子は違う。「どうしたらいいかわからない」っていう、もっと根っこの戸惑い。

正解がない、自分で考えなきゃいけない、自分の気持ちを形にしなきゃいけない。

そういう「美術」というものに、本当の意味で出会っている大切な瞬間。

ここで親御さんに伝えたいのは、自分の子がフリーズしているのを見て焦らなくていい、ということ。

「ちゃんとやりなさい」と急かしたり、「これはこういう絵だよ」と先回りして説明したりしたくなる気持ち、すごくわかります。でも、あの戸惑いの時間こそ、子どもが美術と出会っている時間かもしれない。

フリーズする=わかってない、向いてない、失敗ではないんです。

むしろ、立ち止まって考えを巡らせるのは、美術鑑賞そのものでもあります。適性がある、と言ってもいいかもしれません。

大人も「何もしていないように見える時間」って怖いじゃないですか。

焦って沈黙を埋めるために無理やり喋ったり。

黙ったり、ゆっくり考えることって、どこか後ろめたい雰囲気がある。

でも、たっぷり時間をとっていいんですよ。それが美術鑑賞です。

迷っていい、戸惑っていい。そう信じて、隣で待ってあげるだけで十分です。

なぜ私たちは、わざわざ美術館に行くのか

ルーヴル美術館のサモトラケのニケと来館者|美術館で作品と空間を体験する様子
本物の作品と空間の中に立ったとき、写真では得られない体験が生まれる

ここで少し話を広げます。

今って、スマホで作品の画像なんていくらでも見られる時代ですよね。家で印刷して飾ることもできる。

それでも私たちは、わざわざ美術館に足を運びます。

なぜでしょうか。

本物の作品の前に立つと、油彩の盛り上がりと照明が織りなす照りの美しさが見えてきます。

角で勢いが弱まった筆致から、画家の迷いみたいなものが伝わってくる。

何百年前の空気を纏った額縁に、画家の人生や、必死に残した感情の塊に、想いを馳せる。

彫刻なら、大理石の透けるような白さや、面に残されたノミの跡が目に飛び込んでくる。

仕上げの粗い部分から、彫刻家が石と格闘した時間が立ちのぼってくる。

そういうとき、想像の泡(あぶく)がぶわああっと溢れ出すんです。

便利になった現代でも、人間がわざわざ美術館に足を運ぶのは、たぶんこの泡のためです。

感情の動き。

心が揺さぶられて、何かを考えずにはいられなくなる、あの時間。

そして、これは描くことや作ることでも同じです。自分のなかの波打つ感情を残したい、誰かと共有したい、言葉以外の方法で「私」が見た景色を記録したい。そういう、人間を一番「人間たらしめている」欲求を満たすために、人は作る。

美術って、結局これだと思うんです。

便利さでも、効率でも、正解でもないものに、わざわざ時間と心を使う。その時間が、人を人にする。

子どもに渡したい美術体験って、結局この感覚なんじゃないかと思っています。

学芸員という、間に立つ仕事から見えること

ちょっと話が脱線するんですが、学芸員という仕事についても触れさせてください。

学芸員って、研究室にこもっている人だと思われがちなんです。

でも実際は、けっこう違います。

作家のアトリエに通い、美大の卒展や修了展に足を運び、現代の作家と日常的にやり取りをする。

教育普及プログラムでは、子どもたちが制作するワークショップにも立ち会う。

つまり学芸員は、「作る人」と「見る人」の間に立っている職業なんです。

だから、子どもと美術を考えるとき、「鑑賞か、制作か」みたいな分け方を、私はあまりしません。

子どもにとって、見ることと描くことは地続きです。

絵本を見て「これ描きたい」となるし、自分が描いてみて「他の人はどう描いてるんだろう」と気になる。

家庭で美術を取り入れるときも、見ること・描くこと・触れること、全部やっていいんです。

どれかに絞らなきゃいけないわけじゃない。

私自身が、美術に出会ったとき

少し個人的な話を挟みます。

私は小さい頃から絵を描くのが好きで、美術部にいて、コンクールで賞をもらうこともよくありました。

美大進学も考えてオープンキャンパスに行ったりもしたんです。

でも結局、作家として食べていくのは難しいなと考えて、国際系の学部に進みつつ時々美術の授業もとっていました。

その大学の課題で美術館に行ったとき、ふと気づきました。

「あ、私に足りなかったのって、作品を見ることだったんだな」って。

足りなかった、というのは能力の話じゃなくて、欲していた、という意味。

なんで今まで見に行かなかったんだろう、って自分でも不思議になりました。

本物の作品の前に立ったとき、鳥肌が立ったんです。

今振り返ると、その感受性が私のなかに残っていたのは、子どもの頃から描くことが身近にあったからだと思っています。

描くことと見ることは、別の習慣のようでいて、たぶん同じ根っこから生えている。子ども時代に両方が近くにあれば、それが一番いいんだと思います。子どもって、放っておいても何かしら絵を描いていますよね。お絵かき帳に、画用紙に、ときには壁にも(笑)。

描く方は自然と日常にある分、見る方を意識して取り入れてあげると、両輪が回り出します。

親が手放したい、ふたつのこと

長くなりましたが、ここで少し、親の関わり方についても書かせてください。

現場で多くの親子を見てきて、これは違うなと感じる関わり方が二つあります

一つは、「だめ」「ちがう」と否定すること

子どもが「この絵はお化けだ!」と言ったとき、「違うよ、これは天使だよ」と訂正したくなる気持ちはわかります。でも、そう言われた子は、もう自分の見方を口にしなくなります。

「お化けに見えたんだ、どこからそう思った?」と聞いてあげるだけで、子どもなりの論理が立ち上がってきます。

実はこういう関わり方を、そのまま方法として整理したものが「対話型鑑賞(VTS)」です。家庭でできるやり方は学芸員ママの目線で別の記事にまとめているので、興味があればのぞいてみてください。

もう一つは、一回やって終わりにすること

「アートカード買って、一回一緒にやって、それきり」「気が向いたときだけ美術館に連れていく」みたいに、特別なイベントとして扱ってしまうパターンですね。

美術って、本当はもっと日常に溶けているものだと思っています。リビングに画集があって、子どもがめくる。料理しながら「今日の夕日きれいだね」と話す。歩いていて「あの建物の影、面白い形してるね」と気づく。

そういう日常の積み重ねのほうが、特別な美術館通いより、たぶん子どもの感性をつくります。

なかでも一番手軽で、効果が大きいのが「家に1枚、絵を飾ること」だと私は思っています。

子どもの目に毎日入る場所に好きな絵があるって、それだけで美術が日常になります。アートポスターの選び方は別の記事に詳しくまとめていくので、興味があればのぞいてみてください。

具体的な始め方を知りたい方へ

最後に、もう少し具体的に「何から始めようかな」と思った方のために、入口を整理を。

家庭で対話型鑑賞をやってみたい方は、こちらの記事へ👇

絵本から始めたい方は、こちらの記事へ👇

子どもと美術館に行ってみたい方は、こちらの記事へ。

美術鑑賞が子どもにどんな力を育てるのか知りたい方は、こちらの記事へ。

これらは全部、「始め方」の一つです。どれから始めてもいいし、全部やる必要もないし、合うものだけ続ければいいと思います。

おわりに

最初に書いた話に戻ります。

あなたがこの記事にたどり着いた時点で、もうあなたは子どものことを思っています。「いい美術体験をさせてあげたい」と検索する親のもとで育つ子は、それだけで美術が日常にある暮らしを手にしているはずです。

「美術鑑賞が子どもにどんな力を育てるのか、もう少し具体的に知りたい」という方には、別の記事で7つのメリットとして整理しています。

完璧な始め方なんてないし、何歳から、何をしなきゃ、というルールもありません。

子どもがフリーズしていても焦らない。「だめ」「ちがう」を言わない。日常のなかに美術がある暮らしを、ゆるく続ける。

それだけで、子どもは自分のペースで、自分の感受性で、美術と出会っていきます。あの想像の泡が溢れる瞬間に、いつかきっとたどり着きます。

まずはここから

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